2023.12.27 Wed
作家・河邉徹さんが選ぶ5冊の本┃繊細な心理を緻密に描くことを学んだ「作家活動に影響を与えた本」
人生で特別な5冊を紹介してもらう連載企画「5冊の本」。
今回お話を伺うのは、作家・河邉徹さん。
2009年にメジャーデビューしたスリーピース・ピアノロックバンドWEAVERでドラマーと作詞を担当し、2023年2月の解散まで活動。バンド活動中であった2018年に小説家デビューを果たし、現在までに6作を発表しています。
河邉さんは幼少期からさまざまな本を楽しみ、現在も執筆の合間に読書を嗜んでいるそうです。自著の構想について悩んでいるときも、世代やジャンルを問わず、素晴らしい作品にふれることで、感動や刺激を受けるのだとか。
「世の中にあふれる素晴らしい作品にふれて、感動することは今でもたくさんあって。そういった体験から、自分の作品を通じて、誰かが感動してくれたり、喜んでくれたりしてほしいという思いがより強くなりますね」と、読書は執筆活動の原動力だと語ります。
そんな河邉さんに今回は「作家活動に影響を与えた本」をテーマとし、5冊の本を選んでもらいました。
ミュージシャンとしての多くの作詞経験を経て、作家としても活躍する河邉さんのインスピレーションの源である読書体験を探っていきましょう。
この記事の取材担当/水野史恵(エディマート) ディレクターとして書籍や新聞の記事広告の編集・執筆業務を担当。最近は青春小説を読むと涙を流してしまうことが多く、涙もろさを実感している。 |
目次
1. 言葉で表現することの原点
幼少期は、お姉さんの影響でファンタジー小説を好んで読んでいたという河邉さん。
「今でいうラノベ(ライトノベル小説)をよく読んでいました。当時はラノベという言葉はなかったかもしれないですが、読書の入り口としてすごく入りやすいジャンルですよね。小学生だった自分は夢中になっていました」と当時を振り返ります。
「書籍のカテゴリを意識したのは随分と遅かったと思います。高校、大学と進んでからも小説でもサスペンスやミステリーといった区分は関係なく、本屋さんに行って並んでいる本を眺めて、面白そうだと直感で作品を手に取っていました」と話す河邉さん。
その影響からか、年齢を重ねてからも本のジャンルやカテゴリを意識していなかったと言います。
作家となった現在も、みずみずしい青春小説からSFまで、幅広いジャンルの小説の執筆に挑戦してきた河邉さんの原点は、幼少期から続く豊富な読書体験にあるのかもしれません。
長年作詞を手がけていた河邉さんが小説を執筆する。その一歩を踏み出すまでには、長い間葛藤があったそうです。
「バンド時代からいつか小説を書きたいとは思っていたんですが、短い言葉で表現する作詞に長年携わってきたので、小説を書けるのか自信がなかったんです。作詞は、自分一人だけではなく、バンドとしてメンバーやスタッフの協力や合意を得て作り上げていきます。その一方で、ある意味で自分勝手に『自分が良いと思うものだけを詰め込んだ作品を作りたい』という気持ちが芽生えて、小説への興味が湧きあがってきました」。
そんな自身の感情に気づき、「一度挑戦してみよう」という思いで小説の執筆活動をスタートした河邉さん。小説ならではの面白さを尋ねると、「自分の責任として全部受け入れられるところ。文字数を考えずに表現できることにも喜びがありますね」と熱く語ってくれました。
作詞家と小説家、両方を経験したからこそ知り得た執筆の魅力。ここからは、河邉さんの「作家活動に影響を与えた本」を、その独自の着眼点から紐解いていきます。
『ひと(祥伝社/小野寺史宜 )』
まず紹介してくれたのは、2019年に本屋大賞を受賞した青春小説『ひと』。20歳にして父と母を亡くし独りになった主人公の聖輔が、時間を重ねながら人と出会い、その絆にふれていくストーリーです。
「この小説は大きな舞台装置がない中で、淡々と物語が進んでいく。特別な展開がないのにもかかわらず、ストーリーだけで読ませる文章を書くのはすごく難しいはず。だけど、独特な文体や物語の雰囲気によって、どんどん読み進められる」と河邉さん。
ストーリー上の出来事に頼らず、文体で読ませる凄みを語ります。
この本との出合いは、『蛍と月の真ん中で(ポプラ社)』の執筆中だったそうです。
「物語をどうやって面白くしていこうか、思い悩んでいるときに手に取りました。『ひと』の文体を自分に取り入れることで、どうにか文章のリズムをつけられないか考えていて。小説って、物語の構成や展開も大切な要素ですけど、この本を読んでから文章のリズムの重要さを実感しましたし、自分自身もリズム感というものを意識して書くようになりましたね」。
短いセンテンスかつ平易な言葉でつづられているのにもかかわらず、読んでいて心地よさを感じる独特の文体から、文章のリズムの重要さを学んだと話す河邉さん。
劇的な事件が起こらない中で、聖輔の人生に迫った『ひと』。ぜひ、どんどんストーリーに引き込まれる巧みな文体を楽しんでみてください。
『僕の好きな人が、よく眠れますように(角川文庫/中村航)』
続いて紹介してくれたのは、河邉さんが学生時代から読んでいたという中村航さんの作品です。
『僕の好きな人が、よく眠れますように』は、理系の大学院生“僕”が北海道から来た研究員の“めぐ”に恋するも、彼女にはすでに夫がいて、許されざる関係に踏み込んでしまう2人のラブストーリー。
河邉さんが初めて本書を読んだのは大学生のころだったそうです。
「ちょっとドロドロしたところもあるけれど、恋愛のまっすぐでピュアなところが描かれている。ピュアな気持ちをいくつになっても忘れずに書ける小説家でありたい。『学生のころに感動した感覚を、いつまでも忘れないようにしたい』という思いで、この本を選びました」とまっすぐに語る河邉さん。
お互いが好きで好きでどうしようもなく、心底恋愛を楽しんでいる2人の様子もさることながら、阿吽の呼吸で弾む会話と軽快な言葉遊びも魅力の一冊です。さらに、読者の心をとらえる中村航さんが描く軽妙な表現についても語ります。
「心情を比喩で表現するとか、わかりやすいものではなく、擬音のような、感覚的な言葉が使われています。それは、小説家にとってある意味飛び道具ではあるんですが、すごく効果的に使われているんです」。
そんな特徴的な表現に対して、「確かにこの言葉じゃないと、この本の登場人物のリアルな気持ちって表現できないな」と、当時大学生だった河邉さんの心にものすごく刺さったそうです。
“僕”と“めぐ”のピュアな感情がダイレクトに伝わってくる一冊。ぜひ、言葉に着目して、物語の世界に没入してみてください。
¥704
発行/角川文庫
著者/中村航
『ジョゼと虎と魚たち(角川文庫/田辺聖子) 』
人間のありのままの姿を繊細に描き、既成概念にとらわれない作風で知られる、作家・田辺聖子さん。
『ジョゼと虎と魚たち』は、さまざまな愛と別れを描いた8篇の短編集。1997年の発売以来、累計65万部を超えるロングセラーとして、世代を問わず愛されています。表題作の『ジョゼと虎と魚たち』は、車椅子がないと動けない人形のような女性ジョゼと、大学生の恒夫との不思議なラブストーリーとして、映画化・アニメ化もされました。
そんな本作について、「人間の永遠のテーマである“幸福とは何か”ということが描かれていると思っています。恒夫やジョゼが幸せを追い求めて、一般的とは言えないけど、それぞれの自身の幸せをつかむところが印象的ですね」と話します。
続けて、「どうにもならない状況が続くんですけど、それでもジョゼの力になりたいという思いが、ある種の男性の醜さなのではないかと僕は痛いところを突かれたような気持ちになりました。そんな、うまく言葉にできないような醜さを物語の中で巧みに表現されているのが素晴らしい」と河邉さん。
さらに、いずれの短編にも登場する関西弁に懐かしさを感じたという話も。
「僕は関西出身なので、関西弁に懐かしさと温かさを感じる小説でした。方言は、誰が喋っているかをわかりやすくできる手法であると思うので、自分の作品にもうまく取り入れていきたいと思いますね」。
『路(文春文庫/吉田修一)』
続いて紹介してくれた『路(ルウ)』は、台湾に日本の新幹線を走らせる巨大プロジェクトをめぐり、それにかかわる日本と台湾の商社員や整備士といった人々の思いが絡んでいく長編小説です。
異なる国の人々の絆をテーマにした作品の中で、圧倒的な悪役を登場させたり、激しい恋愛模様を描いたりなど、そうしたわかりやすい展開を使わないことが、河邉さんにとって印象的だったと話します。
「登場人物の心にちゃんとフォーカスしているのが、吉田修一さんの巧みなところ。単純に対立構造を作り上げて、それを描くのはわかりやすい表現だと思いますが、そうではなくて、リアルな人の心と葛藤をしっかり描写しています」。
大きな事件が起こらずに、ある意味で淡々と物語が続いていくのは、先に紹介した『ひと』とも共通する点です。
“人の心を繊細に描く難しさ”を知っているからこそ、登場人物の心情にフォーカスした作品が魅力的に感じると話します。
「自分自身の作品でも人の心の動きを丁寧に描きたい」と、『路』からの影響を受けつつも、「そのうえで自分らしい小説の手法を考えている」と話す河邉さん。
多彩な登場人物と、その人物たちに流れた歳月もしっかりと描かれた『路』の世界で、どんなふうに登場人物の心の機微が描かれているのか。ぜひ皆さんも体感してみてはいかがでしょうか。
『風に舞いあがるビニールシート(文春文庫/森絵都)』
最後に紹介してくれた『風に舞いあがるビニールシート』は、UNHCR(国連難民高等弁務官)東京事務所で働く日本人女性を主人公とした表題作のほか、自分の価値観を守り、何かのために賢明に生きる人々を描いた6篇が収録されています。
「6篇それぞれ立場の異なる人々が描かれていて、すべてのお話がめちゃくちゃ面白い。『小説の良さが全部詰め込まれている』と感じたくらい、完成された一冊」と河邉さん。
実際に、誰かにおすすめの小説を聞かれたら必ず候補に挙げる作品だと言います。
また、「こんな本を書けたら小説家をやめてもいいと思うほど、自分も成長していつかこんな作品を書けるようになりたい」と作品から受けた衝撃を語ります。小説家としてデビューする前に初めて読んだときと同様に、何度読み返してもその衝撃を感じるほどだそうです。
それほどまでに河邉さんを惹きつけるのは、圧倒的な小説的表現力だと言います。
「この作品を映像にして面白いかというと、多分そうじゃないところがすごく“小説”だな、と。小説だからこその文章表現だったり、読み手が想像できる余地があったり。小説を読む喜びがこの作品に詰まっています」と魅力を存分に語ってくれました。
¥726
発行/文春文庫
著者/森絵都
今回、河邉さんに選んでもらった5冊の共通点は、「人の心にしっかりフォーカスしている作品」だということ。
心の描写を曖昧にせずに、突き詰めて表現している5冊から、河邉さんは多くの影響を受けたと話してくれました。そんな読書体験を通じて繊細な心理描写にふれた河邉さんが、自身の作品にどう昇華してきたのかを伺います。
2.作品とともに成長してきた実感
メジャーシーンで学んだ多くの人に届ける姿勢
小説を書き始めたころの話を伺うと、「自分がどんなジャンルの小説を書いているのか、どんな層の読者に届くのか、などはあまり意識していなくて、『小説を書くのが楽しい』という気持ちだけで始めました」と話してくれました。
そんな河邉さんですが、現在は楽しい気持ちに加えて、作りたい作品のイメージも明確になってきたそうです。
「自分の本が書店に並ぶのを見たり、書店員の方と交流するようになったり、出版をする経験を重ねるごとに出版業界の空気を学んでいっている感覚があります。だから今は、『こんな作風を書けるようになりたい、こんなふうに読者に届けたい』と、やりたいことがハッキリしてきていますね」。
また、WEAVERで作詞を担当したことは、現在の執筆活動の糧になっているという話も。
「ずっと歌詞を書いてきたので、“一言で人の心に残る言葉”を探してしまいますね。印象に残る一節を考えているときに、アーティストとしての活動が役に立っているなと思います」。
さらには、「メジャーシーンで活動してきたことで、多くの人に読んでもらえるものを作ろうということが、自分の中のベースになっていますし、小説を書く上でも意識しています」とバンドとしてメジャーデビューしたことが、自著に影響を与えたと語ります。
世の中の人が求めているものを察知し取り入れながらも、独自の作品を生み出してきた河邉さん。時代の流れを読み取るバランス感覚は、バンド活動で培われたのかもしれません。
“普通”であることに悩みを抱えて
河邉さんの著書『言葉のいらないラブソング(PHP研究所)』は、“普通すぎる”ことに悩むシンガーソングライターのアキと、“普通になりたい”と思っている個性的な女性、莉子の恋愛模様が描かれた小説。
ミュージシャンと、それを取り巻く音楽業界を描く本作は、作中にオリジナルの曲も登場し、アーティストとして活躍してきた河邉さんが描く歌詞も見どころとして話題に。
そんな本作の執筆をしていた当時の悩みについて話してくれました。
「ミュージシャンとして活動していた2016年ごろには、物語の骨組みのようなものができていました。僕自身、主人公のアキと同じ“普通”であることに悩みを抱いていたんですね。ミュージシャンという立場で、人前で演奏したり、歌詞を書いたり、レコーディングしたり、そういう変わった仕事をしているけれど、どこかで自分ってすごく“普通だな”と悩んでいました」。
「学生のころは、自分はいわゆる普通のサラリーマンになっていくんだろうなと思っていました。家庭環境も普通でしたし。それが幸運にもいろんなきっかけがあり、上京をして皆さんの前で演奏するように。だから心のどこかで、もっといろんな人に知ってもらうにはこのままの自分じゃ駄目で、奇抜な自分にならなければいけないのでは、と悩みを抱えていましたね」と当時の心境を打ち明ける河邉さん。
ミュージシャンになった後も続いた“普通”であることの悩み。自身の葛藤や不安を「うまくアウトプットする方法はないか」と考え、小説で描くことを選んだそうです。
「『“普通”って何だろう。今の自分のままでいいのか、今の仕事を続けていいのか』といった悩みを抱えている方は、きっとたくさんいると思います。そんな方にも読んでいただき、少しでも力になれたらうれしいです」。
さらに、音楽業界に興味がある人が読んでも面白いという話も。
「主人公がミュージシャンということもあり、音楽業界が舞台になっています。業界の現実的な話や裏側も描かれているので、そういった部分に興味がある人にもぜひ読んでもらいたい」と読者への想いを語ってくれました。
小説家として成長してきたことで、物語の骨組みを磨き「納得できる形で世に出すことができた」と語る自信作。河邉さんの今までの苦悩を知ってから読むと、より一層心に迫るものがあるはずです。
¥1,760
発行/PHP研究所
著者/河邉徹
3.終わりに
バンドWEAVERとしてデビューし、作詞から現在の執筆活動に至るまで、“言葉”というものに真摯に向き合ってきた河邉さん。
メジャーシーンでの活動から、「自己満足だけにならないこと」を常に意識しているそうです。
「ミュージシャンとして、売上やSNSなど自分の発信するものが数字として現れる世界にいたこともあり、自己満足だけでは成り立たないという空気を浴びてきて、良くも悪くも自分の身になっていると思います。たくさんの人に届けたいという気持ちのうえで、『面白い、心が救われた』と言ってもらえるような小説を書いていきたいです」と話します。
インタビューを通して感じたのは、すべての経験が大きな糧となり、執筆活動に活きているということ。
今回選んでもらった「作家活動に影響を与えた本」は、いずれも繊細な心理に向き合い、丁寧に描かれている5冊です。
読書と執筆の両面で、繊細な心の動きに向き合い続ける河邉さん。ぜひ、小説だからこそ表現しうる主人公たちの心の機微に触れ、自分の心にも向き合ってみてはいかがでしょうか。
取材・執筆=水野史恵、大西里沙(エディマート)
写真=早坂直人(Y’s C Inc.)
関連記事
新着記事
人気記事
お問い合わせ
お仕事のご相談や、採用についてなど、
お気軽にお問い合わせください。