2021.05.26 Wed
鷗来堂・栁下恭平さんが選ぶ5冊の本┃言葉や思考を豊かにしてくれる「人生の節目に出会った本」
人生で特別な5冊を紹介してもらう連載企画「5冊の本」。
今回お話を伺ったのは、校正・校閲の専門会社「鷗来堂」の代表であり、東京・神楽坂の新刊書店「かもめブックス」の店主も務める栁下恭平さん。京都で書籍出版レーベル「京都文鳥社」を立ち上げ、本の編集にも携わり、ほかにも書店のプロデュースや選書サービスなど、本に関するさまざまなお仕事に尽力されています。
私の大好きな漫画『重版出来!』に登場する校閲者のモデルにもなった方。さらに石原さとみさん主演で放送されたテレビドラマ『地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子』では、校閲監修を務められました。
そんな校閲のプロフェッショナルであり、本とともに人生を歩んでこられた栁下さんに、今回紹介していただくのは、「僕が人生の節目に出会った5冊」。
毎日のように本や言葉にふれている栁下さんは、これまでどんな風に本と向き合ってきたのでしょうか。まずは栁下さんの多岐にわたる仕事のことから伺ってみようと思ったところ、最初に栁下さんから出た言葉は、
「僕、国道1号線がすごく好きなんです」
さて、この先いったいどこに連れていかれるのだろう、という期待と不安が入り混じる空気の中、いよいよインタビューがスタートします!
この記事のライター/須崎條子(エディマート) エディマートに所属し、編集・マネジメント業務を担当。新聞の記事広告やwebメディアの記事制作に携わる。読書は物語に浸れる小説を好む。過去に「鷗来堂」が開催する校正・校閲講座に参加した経験あり。 |
目次
1.いい本を作るために欠かせない校閲という仕事
開口一番、「話が脱線するとキリがないんですけど、趣味がいろいろあるんですよ」と栁下さん。
まさかの脱線から話が始まりました。
「世界中の国道1号線をバイクか車で走り抜けたいんです。国が作った第1号の道なので、その国の近代史が全部詰まっている」
「雨どいも好きで、雨どいメーカーさんとデザインについて話したりしています。一番身近な雨どいは眉毛なんですよ。眉毛を全部剃ると、雨が全部目に入ってきます」
「空いた時間にやりたい暇つぶしリストに、完璧な配分のチョコレートパフェのレシピを作るっていうのもあります」
……エトセトラ。好きなこと、趣味のこと、趣味を超えた活動など、幅広い思考・視野で話は尽きませんが、栁下さんの本業は本にまつわるお仕事です。
栁下さんは、2006年に校正・校閲の専門会社「鷗来堂」をスタートさせました。それ以前は、4年ほど海外を放浪。帰国後に偶然知り合った夫婦から出版関係の仕事を紹介され、出版社の編集部に勤めることに。
その時に出会ったのが校閲の仕事でした。校閲とは、出版される前の本の文章を読んで、間違いを見つける仕事です。いわば“最後の砦”とも言うべき、品質管理の役割を果たします。
「その頃は出版社の校閲部門が縮小したりなくなったりした時期でした。校閲ってそれ単体ではお金を生み出さないので。でもなくなると、やっぱりいい本ができないと思うんですよ。そういう見えにくい裏方の仕事をやるのが性に合っている気がして、校閲の会社を始めました」と栁下さん。
今では多くの版元さんから信頼され、鷗来堂は社員約50名、約160名の登録スタッフを抱える会社へと成長しました。
2.人生のリハーサルができるのが読書
「本は漫画や雑誌も含め、昔からずっと好きで読んでいました。わざわざそれを仕事にしようとは思っていなかったけど、たまたまこの出版の道に入ったんです」という栁下さんの読書頻度は、大体1日1冊くらい。新聞も3紙くらい斜め読みしているのだそう。
日々、忙しく活動している栁下さんが、定期的に本を読めている理由を聞いてみると、「歯磨きとかコーヒーとか習慣みたいなもので、リズムを作ると日常的に読めますよ」と教えてくれました。
そんな栁下さんはある時、読書が大事だなと思ったきっかけがあったそうです。東京ドームで足場を作るバイトをしていた時、ステージのリハーサルを2時間くらいかけてやっているのを見て思ったことが、「人生はリハーサルなしの、ぶっつけ本番だな」。
失敗できないから、本番前にリハーサルをしっかりやる。それなのに、私たちは生きていくためのリハーサルをやっていない。栁下さんは、本を読むことこそが、人生のリハーサルに近い感じがしたといいます。
「火星に行った人の話を読んだら、いつか火星に行くためのリハーサルみたいなものになりますよね。なかなか行かないかもしれないけど(笑)」
『アルケミスト 夢を旅した少年(角川文庫/パウロ・コエーリョ)』
「旅先で読むと妙にシンクロして、リハーサル感がありましたね」と、今回最初に栁下さんが紹介してくれたのは、『アルケミスト 夢を旅した少年(角川文庫/パウロ・コエーリョ)』でした。
この本は、81か国語に翻訳され、全世界で読まれている大ベストセラー。羊飼いの少年サンチャゴがエジプトに向かって旅をし、不思議な老人や錬金術師の導きと、さまざまな出会いと別れを通して、人生の知恵を学んでいきます。
栁下さんが20代前半の頃、4年ほど海外を旅していて、先が見えない中でこの本に出会ったのだそうです。
「スピリチュアルと言っても上質なファンタジーと言ってもいい。旅行中に読んだら最高にわくわくするんですけど、今だとなかなか海外旅行に行くのも難しいのでGoogleストリートビューとかで、主人公の足跡をたどってみるのもいいかも。スプーンに油を入れて宮殿を巡る話など、印象的なエピソードがいろいろ出てきます」
短めであっという間に読めてしまう本ですが、示唆に富んでいて、人生において本当に大切なものは何なのか、少し立ち止まって考えてみたくなる一冊です。いつか旅に出るための、そして人生を一歩踏み出すためのリハーサルにぜひ。
¥616
発行/KADOKAWA
著者/パウロ・コエーリョ
『夜中に犬に起こった奇妙な事件(ハヤカワepi文庫/マーク・ハッドン)』
栁下さんが次に手に取ったのは、『夜中に犬に起こった奇妙な事件(ハヤカワepi文庫/マーク・ハッドン)』。ミステリー小説である本書は、人とうまくつきあえない少年クリストファーが主人公。彼は近所の犬が殺されているところに遭遇し、自身が探偵となって犯人を探しながら、それを一冊の本にまとめていきます。事件を通して成長する少年の姿が多くの共感を読んだ感動の物語です。
「以前、移動中に読んでいたらすごくおもしろくて続きが気になってしまって、公園に立ち寄って読んでいたんです。そうしたら近所の人に通報されて…警察官3人がかりで僕を囲んで職質してきて。僕は何も悪いことしていないのに(笑)」
本書でも、警察官に迫られた主人公が困ってしまうシーンがあり、「理不尽だなー、伝わらないなー」という栁下さんのその時の気持ちが、ちょうどリンクしたそうです。
「今の時代は、コミュニケーションが重要といわれますよね。でも、もしかしたら時代が違えば『人とうまくつきあえない少年』も、何かを発見できる才能を持っているかもしれない。たとえば、コミュニケーションをとるよりも、獣道を見つけて獲物を捕れるほうが有利な時代もあったわけで。だから今はたまたま『人とうまくつきあえない』世界かもしれないけど、基本的に無駄なパーソナリティはないと思うんです」
たしかに主人公は、コミュニケーションは苦手でも、物理と数学が得意で、記憶力にも長けています。
「彼は彼の才能があるのに、それが社会に伝わらないし、理解されないというジレンマがあるんですよね。なるほど彼はこういう世界と対峙しているのか、ということがわかり、自分とは違う人格を体験するような感覚になれます」
¥902
発行/早川書房
著者/マーク・ハッドン
『11人いる!(小学館文庫/萩尾望都)』
「この本は出会う時期を間違うと、人生が取り返しのつかないことになります。僕は後悔はしていないですが(笑)」
漫画『11人いる!(小学館文庫/萩尾望都)』を中学生の時に読んで、人生が取り返しのつかないことになったと話す栁下さん。
本作は1975年に「別冊少女コミック」にて発表され、従来の少女漫画では珍しい本格的SF作品として、当時のマンガ界に多大な影響を与えました。
舞台は宇宙大学受験の最終テスト、外部との接触を絶たれた宇宙船の中。10人の受験生はそこで53日間生きのびることを課せられるが、なぜかそこには“11人いる!”というところから物語は進んでいきます。
なぜ1人多いのか、11人目は誰なのか。疑心暗鬼になりながらも信頼関係を築き、試練を乗り越えようとする姿が描かれます。国力や偏見、友情、雄雌未分化の完全体という存在、星間連盟内の紛争など、現代に通ずるテーマも随所に盛り込まれており、ドラマ、アニメ、舞台などさまざまな形で現代に語り継がれてきた不朽の名作です。
「たとえばですが、アン・シャーリー(『赤毛のアン』の主人公)が自分にインストールされると人生変わりませんか?アン・シャーリーって自分の中でガソリンを作ってそのガソリンでどこまでも走っていくようなキャラクター。彼女の概念を知ってしまうと、栄のイチョウ並木とか歩いても、全然違うんですよ。『アンならきっとこう考える』とか思ってしまう」
アン・シャーリーはとても想像力豊かで、明るく前向きな女の子。彼女のキャラクターを知ることで、見えている世界はがらっと変わると語る栁下さん。『11人いる!』もそんな作品だといいます。
「小説を3つに因数分解すると、ストーリー、シーン、キャラクターだと思うんです。作家によって得意な部分が違うと思いますが、『赤毛のアン』はキャラクターが魅力的ですね。『11人いる!』はストーリー。もちろんキャラクターも魅力的ですが、このミステリーのしくみを知ると全部SFで語りたくなります」
中学生の頃、筒井康隆、小松左京、星新一などのSF作品を好んで読んでいた栁下さんに、とても大きな影響を与えた一冊のようです。
3.長く愛され続ける本を作りたい
「これは僕が編集した本です。女性の本なので、女性が手に持った時にちょうどいいサイズにしたいと思って、デザイナーと相談しながら装丁を作りました」
そう言って紹介してくれたのは、少し変わった判型と赤色の装丁が印象的な『戦争と五人の女(京都文鳥社/土門蘭)』。装丁だけでなく、紙質、余白、文字色など、とてもこだわりが感じられる美しい本です。
『戦争と五人の女(京都文鳥社/土門蘭)』
太平洋戦争の終戦後、そして朝鮮戦争の休戦間近である1953年7月の、わずかひと月の物語。舞台は広島県呉市朝日町。『この世界の片隅に(双葉社/こうの史代)』と同じ地域と言えば伝わりやすいでしょうか。この場所で生まれ育った著者が、戦争という混乱期に翻弄された5人の娼婦の姿を描くことで、女性そのものを見つめた一冊。
「これはすごく現代的。貧困、教育、差別、仕事、あと子供を産むという選択肢とか。1953年と現代の女性の問題って、変わっていないところは変わっていない」
『戦争と五人の女』は、栁下さんが立ち上げたレーベル「京都文鳥社」から出されています。レーベル設立に至った思いを、栁下さんはこう話します。
「いま本は売上が下がっていたり、本屋さんが少なくなっていたりという状況ですが、出版点数、本の種類は増えているんです。そうするとやっぱり埋もれやすくなってしまう。きれいごとかもしれないですが、5千部売れる本を10冊作るなら5万部売れる1冊のほうがいいなと」
さらに、どんな本を作ることを意識しているのか、という問いに
「品切れしないように、ずっと手に入る状態にしておくことが大事だと思っています。ベストセラーというかロングセラーというか。何十年も読み続けられるためには、普遍的なテーマがいいですね」
と答えてくれました。
つまりは長く愛される本。
「母親が好きだったものを娘も好きになるとか、世代を超えるのが絵本だと思うんです。ただ、楽しい絵本と違って『戦争と五人の女』は純文学でテーマも重い。でも確実に人生に残る。それが何年かした時に思い出して、誰かにすすめたり、自分でまた読んだりして、そうやって長く残っていくのかなと思います」
4.何度も買って読んで人に贈りたくなる本
「エンデの作品はどれも好きなんですが、自宅の本棚からぼーっと選ぶと、いつもこの本を読んでいる気がします」と挙げていただいたのは、『鏡のなかの鏡―迷宮(岩波現代文庫/ミヒャエル・エンデ)』でした。
『鏡のなかの鏡―迷宮(岩波現代文庫/ミヒャエル・エンデ)』
ミヒャエル・エンデといえば『モモ』や『はてしない物語』が有名ですが、こちらは少し難解な大人向けの代表作。
「エンデの作品には時間とお金というテーマがずっとあって、『モモ』は寓話的に見せるのがうまいですよね。『鏡のなかの鏡―迷宮』は集大成という感じ。最初と最後のシーンがつながって、ぐるぐる回るんです。読んでいるうちにどこを読んでいるかわからなくなっていく、そういう読書体験へと誘われます」
栁下さんは何度も読む本は、読んだあとに人にあげることが多いそうです。
「『鏡のなかの鏡―迷宮』なんかは大きな書店に行けば大抵置いてあるので、出先でも買って読んで、誰かにあげたりしますね。今回おすすめした本の中では唯一読みやすくない本なのですが、独特で、ちょっと心を圧迫するというか、寓話としてとてもいい本です」
謎めいた幻想譚30篇と、父エトガーによる不思議な挿絵で構成された、終わりのない“迷宮”を、皆さんも味わってみてはいかがでしょうか。
連作短篇集になっているので、たとえば30分でも時間があったら好きなところから読むというのもおすすめだそうです。
5.紙の本と電子書籍のこれから
日々多くの本にふれている栁下さんに、電子書籍のことを聞いてみたくなりました。
「2010年に8か月くらい、意識的にkindleで小説も漫画も読んでいたことがあって。量はめちゃくちゃ読めましたね、いつもの1.4倍くらい。収納の面やいつでも読めるという点では電子書籍はたくさん読めていいですが、あとから思い出す時には紙のほうが有利な気がします。紙の本は読み進めていくとページの厚みが変わっていきますよね」
たしかに手の感触と見た目でどのあたりを読んでいるのか、あとどれくらいで読み終わるのかがわかります。そういった情報からも、記憶に残りやすいのかもしれません。
「それに本は一番眺める時間が長いのが背表紙なんです。本棚に並べている状態。読んでいる時間より読まない時間のほうが長い。でも本棚にいてくれるという感じがするので、物質的な本は記憶を保持するのではないでしょうか。今はまた紙の本に戻しました」
さらに話はこれからの電子書籍の可能性へと移ります。
「本はもともと紙向きに作られた作品だから、紙が有利という話であって、紙も電子も両方あっていいですよね。デジタルデバイスならGPS情報が拾えるので、ミステリー作品でテレビ塔に上らないと見えないページがあるとか、そういうデジタルならではの表現ができるとおもしろい。これからはデジタルネイティブの編集者や作家が出てきたりして、変わっていくかもしれませんね」
今はひとつの本を読む場合、紙の書籍か電子書籍かという選択肢があります。これからは電子書籍の時代だと言われるかもしれません。でも今後はそれぞれが異なるメディアとして確立し、紙も電子もまったく違う楽しみ方ができるものになっていくのなら、本の未来は明るいし、すごくおもしろいことではないでしょうか。
6.終わりに
散々本の話をしたところで、栁下さんは「本ばっかり読むやつは信用しないほうがいい」とポツリ。その心はいったい?
「本は好きで読んでいますが、頭でっかちになりすぎるのもよくない。たとえば、女の子とかお母ちゃんとかが東京に遊びに来たとして、その人を一日アテンドできるほうがよっぽどいいと思います。実学半分、雑学半分というか、バランスが大事かな」
誰よりも本を読んでいる栁下さんだからこその、説得力のある言葉に聞こえました。
はじめに栁下さんが教えてくれた、読書は人生のリハーサルになるという話。これまでの人生において膨大な量の本を読んできた栁下さんは、数えきれないほどの多種多様なリハーサルを経験してきたといっても過言ではありません。
そんな栁下さんの言葉や思考は、驚くほどに豊か。一度話し始めたらとどまることを知らず、実に脱線の連続で、その脱線の先がとにかくすべておもしろいのです。ここでご紹介しきれないのが残念なくらいに。“知のドワーフ”という愛称をもつこともうなずけます(笑)。本を読むことは、知識や言葉、思考の引き出しを増やすことにつながるに違いないと感じずにはいられませんでした。
今回ご紹介した5冊は、人生においてあらゆる本と出会ってきた栁下さんにとって特別なものです。もし少しでも心にひっかかるものがあれば、ぜひ一度手に取ってみてください。もしかしたらあなたにとっても、人生を豊かにしてくれる一冊になるかもしれませんよ。
写真=山本 章貴
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