2021.08.11 Wed
ミュージシャン・ADAM atさんが選ぶ5冊の本┃美しい日本語を堪能し、想像する「表現の可能性を教えてくれた純文学」
人生で特別な5冊を紹介してもらう連載企画「5冊の本」。
今回、お話を伺ったのは、浜松市出身のキーボード奏者であるADAM atさん。
疾走感あふれるピアノサウンドとダンサブルなリズムのインストゥルメンタルを武器に、2017年、2018年タワーレコード年間ジャズ・セールス・チャートでは日本人アーティストとして2年連続1位を獲得。ピアノ・インスト・シーンをけん引するミュージシャンとして注目されています。
2021年6月には、7thアルバム『Daylight』を発売。本アルバムにはかねてから愛読していた原作小説・漫画からインスパイアされて作曲した『猫と竜』が収録されています。
聞くと、本との向き合い方にもこだわりがあると言うADAM atさん。さらに、プライベートで神奈川近代文学館に足を運んだり、友人と小説にまつわるオリジナルのクイズを出し合うほどの文学好きでもあるそうです。
そんなADAM atさんに今回は、「純文学」をテーマに5冊の本をセレクトしてもらいました。選書された5冊を通じて、ADAM atさんにとっての読書の魅力に迫ります。
この記事のライター/水野史恵(エディマート) エディマートに所属し、編集や執筆の業務を担当。情報誌や観光ガイドブック、新聞記事などを制作している。これまでに読んだ純文学で印象的な作品は『檸檬(角川春樹事務所/梶井基次郎)』。 |
目次
1.美しい日本語表現が誘う想像の世界へ
「初めて文学にふれたのは、読書好きな父がきっかけでした」。
自宅にあったお父様の本棚に並ぶ書籍が、ADAM atさんにとって初めての本との出会いだったと話します。
「結構家が厳しくて、あまり漫画などは読める環境ではなかったんです。そこで、小学生くらいのときに、本棚にあった江戸川乱歩先生の『少年探偵団シリーズ』や、北杜夫先生の『ぼくのおじさん』、あとは筒井康隆先生や星新一先生の作品を好んで読んでいましたね。」と、当時から本を読む習慣があったと振り返ります。
そして、さまざまな作品を読み深める中で、日本語の美しさに魅力を感じ、自然と純文学に惹かれていったと話します。
純文学の定義はさまざまありますが、主に芸術性を重視する作品において定義されています。反対に内容性を重視するものを大衆文学と言われています。
「今は娯楽があふれている時代で、何もしていない時間ってほとんどないですよね。効率的に読書をしたり、音楽を聞いたり、映像を見たりする人が増えている。でも、できれば僕はゆっくり本と向き合いたいと思っています。だから読書をするときも、所謂ながら読みはせずに、一つひとつの言葉や表現を受け止めて、想像しながら読み深めています」。
そんな風にじっくりと純文学を楽しんでいるADAM atさんが最初に紹介してくれた作品は、『山月記・李陵(岩波文庫/中島敦)』に収録されている『李陵』でした。
『山月記・李陵(岩波文庫/中島敦)』
『李陵』は、1943年、中島敦の没後に発表された短編小説。匈奴と呼ばれる北方の騎馬民族との争いを繰り広げていた中国・前漢の時代に李陵、司馬遷、蘇武という3人が辿ることとなった数奇な人生を描いた作品です。
ADAM atさんは本書の特徴的なところは、「極力会話文が省かれており、すべてにおいて第3者目線である」ことだと言います。
「李陵の人生や司馬遷の気持ち、すべてが第3者目線で書かれているんですけど、その文章が本当に美しい。中島敦先生の著書を学生時代に教科書で読んだことがあるんですが、大人になって改めて読むと、綺麗な日本語で書かれたキリっとした文章に惚れ惚れしましたね」。
さらに、純文学の醍醐味は、普段使っている日本語をより美しく、より文体にこだわった文章表現にあるというお話も。
「例えば、写真もなければ気軽に旅行もできなかった時代に、“水平線がある”ことを表現したい場合、どんな表現をするのか。色白の女性が腕を伸ばしたような、とか、傘張り職人がスッと糊を塗ったような、とか。読者に対してその場面を想像させるために色んな作家さんが試行錯誤を重ね、それぞれの言葉で伝えていたんですよね。それが純文学を読む楽しさであると思っています」。ADAM atさんが言うそういった文章表現こそが、李陵という作品の文章の美しさにつながっているのかもしれません。
「会話文がないのに文章のリズムが心地いいんです。李陵と司馬遷の葛藤をきちんと想像させてくれる、中島敦先生の表現力を堪能できる作品ですね」。
『山月記・李陵』には、著者の33年余の短い一生の間に遺した典雅な11作品を収録しています。ADAM atさんも魅了された表現力をぜひ堪能してください。
純文学は芸術性を重んじるゆえ、難解な文章やわかりづらい表現が多いとイメージされている方もいるのではないでしょうか。一方で芸術性を極めたからこそ、唯一無二の世界が広がっているとも言えるでしょう。
続いてADAM atさんが紹介してくれたのは、『春琴抄(谷崎潤一郎/新潮文庫)』でした。
『春琴抄(新潮文庫/谷崎潤一郎)』
盲目の三味線師匠・春琴に仕える佐助の愛と献身を描いた作品である『春琴抄』。狂気的とも言える春琴と佐助の愛は美しさと残酷さを孕んでいます。
本作について、「ひたすらに美を追求した作品」と語るADAM atさん。
その特徴は文体にも現れています。『春琴抄』で綴られている文章には句読点や鍵括弧、改行が極力使われていません。
「例えば、鶯について説明している描写。数ページに渡って句読点なしで綴られているんですよね。パッと見は読みづらそうに見えるけど、声に出して読んでみると文章のリズムがすごく心地良い。これは読んで体感してもらいたいですね」と話します。
また、ADAM atさんは自身の音楽活動と純文学の魅力に、重なる部分を感じていると言います。
「我々の音楽は歌がない分、メロディの良さや演奏の良さで勝負しようという気持ちを持っています。歌がなくても、メロディやコード進行など、楽しみ方はたくさんあるんですよね。純文学にも似たようなことを感じていて。物語の面白さももちろんですが、文体の面白さがやっぱり魅力だと思うんですよね。それを読み取ることで純文学がもっと面白く感じられるはずです」。
さらに続けて、谷崎潤一郎作品を読むと、「何が美しく、何が“粋”であるのかが感じ取れます」と魅力を語ってくれました。
『春琴抄』は、映画化もされていますし、谷崎先生の作品の中では短めであるので親しみやすい作品ではないかなと思います」
¥407
発行/新潮文庫
著者/谷崎 潤一郎
続いて紹介してくれたのは、国内だけでなく、海外にもその才能が認められ、数々の代表作を残した作家・川端康成の『古都(新潮文庫)』です。
『古都(新潮文庫/川端康成)』
古都・京都を舞台に、生き別れになった双子の姉妹の数奇な運命を描いた本作は、ドラマや映画化もされた川端康成の代表作の一つです。
卓越した自然描写で知られる川端康成。冒頭から、もみじの赤と青色のこけ、すみれの葉や花といった豊かな色彩が登場します。ADAM atさんも本作の四季折々の自然を表現した文章が魅力に感じたそうです。
「もともと好きな作品ではあったのですが、コロナ禍になって気軽に旅行に行けない中、京都の自然美や郷土料理を感じられる作品だと改めて感じましたね」。
さらに本作は自然美だけでなく、京都の慣習、言葉などが色濃くあった昭和30年代の名所や風物を細かく記しています。
ヒロインである千重子が幼なじみの真一と出かけた平安神宮の春の桜見から始まり、祇園祭の人混みの中で双子の苗子と出会い、物語は進んでいきます。ほかにも葵祭や大文字といった京都の代表的な年中行事のほか、清水寺や仁和寺、上七軒などの数々の名所が登場。
ADAM atさんは「作中には、今も残る行事や名所も出てきます。それぞれの起源や特徴なども書かれているから、本当に京都旅行をしているような気分になれるんですよ」と教えてくれました。
また印象的なシーンを尋ねると、「平安神宮の花を見に行く描写が描かれているのですが、そこで“今はまことに、ここの花をおいて、京洛の春を代表するものはないと言ってよい”という台詞が登場するんです。この一節は谷崎潤一郎先生の「細雪」からオマージュとして引用されているものなんですよ。そういった遊び心も素敵だな、と感じますね」と教えてくれました。
続けて「時代とともに変わり、失われゆくものもある一方で、自然の美しさはずっと変わらない。それを伝えてくれる素敵な作品だと思います」と話します。
作者である川端康成は本作に、“古い都の中でも次第になくなってゆくものを書きたい”という想いを込めたと言われています。その言葉通り、伝統産業の衰退や街の近代化など、変わりゆく京都の街並みや生活が丁寧に描かれています。
変わりゆくものと変わらぬもの。それぞれを通じて京都の魅力を再発見できる一冊です。
2.能の世界を通じて描く、芸術論の集大成
「この本は純文学ではないんですけど、僕にとって特別な本なのでぜひ紹介したいんです」。そうADAM atさんが紹介してくれたのが、『風姿花伝(世阿弥/岩波文庫)』でした。
『風姿花伝(岩波文庫/世阿弥)』
1400年ごろ、世阿弥が亡き父である観阿弥の能楽の教えを祖述しまとめたのが『風姿花伝』です。能楽の聖典として長く読み継がれ、堂々たる芸術表現論として現在もなお価値を失わない一冊であり、ADAM atさんも「能に限らず、ステージに上がる人、全員にお勧めできる一冊」と話します。
「今後、僕が音楽活動を続ける中で、必要になることが書いてあって。まさに指針ですよね。今の世の中には色んなノウハウ本があると思いますが、まずこれを読んでほしい」。そう力説するADAM atさんは、自分の境遇と重ね、本書の言葉に多くの共感を覚えたそうです。
「子どもに能をやらせるのであれば、まずは自由に舞わせなさい、と書かれているんです。自分の思い通りにならなくて怒ったり、無邪気に踊ったりして、それが正しくなくてもいい、と。僕は5歳でピアノを始めたころ、練習が大嫌いでした。理由は基礎練習や面白くない曲ばかりを弾かされていたから。それが世阿弥先生の教えのように、とにかく自由に演奏することを許されていたら、もっとピアノが好きだったんだろうな、と思いますね」と振り返ります。
世阿弥は本書において、芸能のもっとも大切な勘所を「花」と表現しています。
花の概念は大きく「時分の花」と「まことの花」に分けられ、「時分の花」は、青少年期の役者が持つ若さを指し、いずれ失われるもの。「まことの花」は、役者が能を究めることによって会得できる、能楽の真実の魅力を表現するのに必要不可欠なものと考えられるでしょう。
ADAM atさんは、世阿弥が綴った年齢による「花」の移り変わりについても共感し、励まされたと言います。
「年齢を重ねると、『時分の花』は消えていく。僕も40歳を過ぎて、昔できたことができなくなり、花がなくなっていくのが実感できてしまう。でも、『風姿花伝』を読むと、今までずっと続けてきたことがきちんと花になる、それを信じられるんです」。
自分だけが持つ本質的な花と言える「まことの花」を探求すること。これは芸事に限らず、一人の人間が生きていく中で、大切なことであると言えるのではないでしょうか。
「『まことの花』を咲かせるにも、『初心忘るべからず』という世阿弥先生の教えのもと、芸を突き詰めていきたいですね」。
3.音楽にも通じるテンポの良さとリズム感
『猫と竜(宝島社/アマラ)』
最後に紹介してくれたのは、『猫と竜(アマラ/宝島社)』。
もともとは、Webサイト「小説家になろう」で連載されていた人気作。 短編作品としては異例の日間ランキング1位を獲得し、話題になりました。
物語は魔獣がはびこる森の奥に、一匹の火竜が舞い降りるところから始まります。竜は一つの卵を産み落とし、土に埋め、狩りにでかけ、命を落としてしまいます。
その卵の上に、一匹の猫がやってきました。猫は埋まった卵の上で子猫を生み、子猫たちは知らずと竜の卵を温め続けることに。竜の子が孵ったのは、子猫たちが生まれてから四日後のことでした。猫たちは、ちょっと変わった「空を飛び火を噴く猫」を、家族に加えて生きていきます。
「先ほど『春琴抄』は、句読点や改行の少なさが特徴という話をしましたが、この『猫と竜』は改行が多いです。その改行を上手く使って物語のテンポ感を生んでいて面白いなと思います。とても読みやすく、物語にも没入しやすいですよね」と話します。
ADAM atさんは、本書からインスパイアを受け、『猫と竜』という楽曲を制作。そこでは本書の特徴とも言える「異世界感」を表現しているそうです。
「人間が生きる世界で、魔法が使える猫や竜がいる。この世界観を文章で想像させているのが小説ですよね。僕は『猫と竜』の楽曲を聴いてもらって、普段の周りの景色を『ここは異世界なのかも?』と勘違いしてしまうような楽しみ方をしてくれたらうれしい」とADAM atさん。
「まずは小説を読んでもらったあとに、楽曲を聞いてもらえたらうれしいですね。この曲は『猫と竜』の登場人物になった気分で聴いてもらいたい曲ですね」と話してくれました。
4.純文学とインストミュージックの共通点とは
先ほど紹介した楽曲『猫と竜』を含む全10曲が収録された『Daylight』が、2021年6月に発売されました。
ADAM at さんは『猫と竜』をはじめ、これまでさまざまな文学作品からインスパイアを受け、自身の曲づくりに生かしていると話します。歌詞のないインストミュージックにおいて、文学作品がどのような影響をもたらしているのでしょうか。
「重ねてになってしまいますが、純文学作品の作家さんたちは、自分の頭の中を我々に想像させようとしてくれますよね。それを言葉としてそのまま引用するのではなく、曲をつくって歌詞を乗せずに想像してもらうことに特化をしたいとは思っています」とADAM atさん。
「歌詞がないからこそ、想像はより広がると思っています。例えば、自分では夏の曲だと思ってつくった曲を、聞いた人は冬の曲だと感じるとする。その曲のタイトルがエンドレスサマーとか、そんな風に夏を連想させるものだとしたら、もう冬を感じられなくなってしまうかもしれません。一方で、裏を返せば、この曲は夏の曲なんだと想像させることができる。そこで歌詞ではなくメロディで自分なりの想像ができるのが、インストの魅力であり、その想像こそが純文学と重なる部分なのかなと思いますね」。
また、ADAM atさんが手がける楽曲は、ジャズやダンスミュージック、ロックなど多彩な音楽ジャンルの要素が詰まっています。どんなことをテーマにして、楽曲を制作しているのでしょうか。
「自分の中の永遠のテーマとして、“芸術は孤独と悲しみの中から生まれる”というピカソの言葉を掲げています。自分のやっていることは芸術だとは思いませんが、何かしらを犠牲にしないと、楽曲は生まれないものだと思っていて。例えば、ミュージシャンはデビューアルバムが一番内容が良い気がします。おそらく、今までやってきた音楽が誰にも認められずに、悔しい思いをしてきた中で、一生懸命につくった曲が全部入っているから。ストレスや妬みも、希望や熱もあふれている。だから僕は今でもそのハングリー精神をずっと大切にしています」と話します。
続けて、「曲づくりをしているときは、聞いてくれる人はみんな幸せであってほしいと思っています。一方で、僕だけは『何でこんな目にあわなければいけないんだ…』というくらいの状況で良いと思っていて。太宰イズムに少し近いような(笑)。やっぱり、満足をしてしまうと、それ以上のものをつくるのは難しい。だから、日常生活においても意識的に不自由さをなくさないようにしていますね」。
そんな想いを抱いて制作された『Daylight』。ADAM atさんは、本作を自分からジャンルの殻を破ったアルバムと言い、曲順や曲のジャンルなど、さまざまな角度において挑戦をしたと話します。
これまでの作品にはないパーカッションや弦などの音も取り入れた、レンジの広いインスト・アルバムとなった『Daylight』をぜひ皆さんも体感してください。
5.終わりに
「インストバンドってどんなイメージがあります?」
インタビュー中にADAM atさんからこんな質問がありました。よくよく話を聞くと、「我々の音楽って興味を持たれづらいんです」という話が。続けて、「人は世の中のものを、だいたい好きか嫌いに区別しますよね。そんな中で、好きにも嫌いにも属さない、“興味がない”というカテゴリがあります。まだふれたことがない文化はすべて興味がないにカテゴライズされてしまいます」。
一方で、きっかけさえあれば、どんなことに対しても興味を持つことができます。
「何かをきっかけに興味を持つと、人生にひとつ幸せが生まれると思っています。我々の音楽は歌がない分、興味がなければBGMでしかない。でも、意識することでただのBGMだった音楽が『この流れている曲、なんだかADAM atっぽいな?』と思って真摯に耳を傾けてくれる。そうなれば、BGMの先に到達したと。そうやって興味を持って自分の音楽を楽しんでくれる人が一人でも増えれば、本当にうれしいですね」と語ってくれました。
純文学も興味がなければ、ただ読みづらい文章で片づけられてしまうことも。しかし今回、ADAM atさんが話してくれた楽しみ方や魅力を知った上で読むと、感じ方も変わってくるのではないでしょうか。
文学も音楽も想像を膨らませ、自分なりの楽しみ方を見つけてください。
写真=太田昌宏、ヘアメイク=青木拓也(DELA by afloat)
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