2021.02.01 Mon
『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』(福音館書店・斉藤倫 )/詩と出会い直したい人へ。きみとぼくの、20篇の詩をめぐるあたたかなストーリー
本と詩をこよなく愛する“いい年をしたおっさん”の「ぼく」と、「言葉がなってないから本を読め」と先生に言われた小学生の「きみ」。きみがぼくの家を訪ねてくるたび、ぼくはきみのための詩を手渡していく―。
さまざまな詩人たちによる20篇の詩のアンソロジーでありながら、詩と言葉をめぐる二人の対話が重なっていく物語にもなっている本書。
児童書ながら、大人も十分に楽しめ、詩がぐっと身近な存在に。
さあ、二人と一緒に自由で豊かな詩の世界に出かけましょう。
¥1,320
発行/福音館書店
著者/斉藤倫
この記事のライター/大塚亜依(ライター・編集者) 約8年間エディマートに勤めた後、フリーのライター・編集者に。詩への憧れは強く、谷川俊太郎、長田弘、立原道造、まどみちお、池澤夏樹などの詩集が自宅の本棚に並ぶ。が、味わい尽くすほどの読解力も感性も足りないようで、最後まで読み進められないままの作品も(詩に片思い…)。本書に出会ったのを機に、あらたな思いで好きな詩を増やしていくことが楽しみに。まずは、本書にも登場する高階杞一、松井啓子の詩をもっと読んでみたい。 |
目次
1.詩と出会い直したくて、久しぶりに買い求めた小粋な詩の本
この本と出会ったのは、よく訪れている大好きな書店でした。
小さなイーゼルのような背の高い台に大事そうに置かれており、心惹かれるたたずまいに誘われて、手に取りました。児童書のようだけど、大人っぽくもあり、黄色と水色のコントラストが目を引くあたたかくも洗練された装画に、気になるタイトル。特別な本だと直感しました。
“きみがおとなになるまえの詩集”―。
このタイトルのように、詩というものは大人になる前の時期によく似合う気がします。
私もとりわけ学生時代や社会に出て間もない頃に、詩を求めたものです。未来を思い悩んだり、恋をしたり、自分が何者なのか知りたくなったり、世界の美しさにふれたくなったときに。詩に書かれた言葉はさまざまに、心に寄り添ってくれました。
そして年を重ね、日々の暮らしや仕事、子育てに追われる中、長いこと詩を求める気持ちをなくしてしまっていました。
そんな折、たまたまこの本を手に取ってみて、「詩に出会い直してみたい」という気持ちがむくむくと沸いてきたのです。
「どんな世界が待っているのだろう?」とドキドキしながらページをめくりました。
2.大人の「ぼく」と子どもの「きみ」が誘う、どこまでも自由でユニークな詩の世界
「せんせいが、おまえは本を読めっていうんだ。ことばがなってないから」。
すでに大人になってずいぶん経つ「ぼく」の家に、小学生の「きみ」がそう言って訪ねてくるところから物語は始まります。
「すごいこというせんせいだな」と言いながら、本と詩をこよなく愛する「ぼく」は、あるユニークな詩を手渡すのです。
か 藤富保男
かくかく
しかじか的に
天使は述べられた
隕石が象の尻のように
一個ふって来た
残念であることばかりが
とてもつづいて
あなたの頬をかじってもいい?
パンのようだから
仕方がなく淋しい夏だ
ね
「詩って、こんなでたらめ書いていいんだ」と、驚く「きみ」に「ぼく」は言います。「いみが、わかったほうがいい?」「ほんとに、でたらめするのは、とても、むずかしい」
「きみ」は言います。「詩も、ことばと、ことばのあいだに、あるのかな? 読んでたら、すきまに、おっこちちゃう感じがした」。「おもしろかった。わらっちゃった」。
そして、「それは、いいでたらめなんだよ」と「ぼく」は答えるのでした。
(この詩と同じときに手渡された同じく藤富保男の「あの」という詩は、さらに自由(でたらめ…!)で、「わらっちゃう」作品なのです!)
詩に興味を感じ、しばしば「ぼく」を訪ねてくるようになった「きみ」(少しずつ明かされていく二人の関係も楽しみ!)。
そのたびに二人は詩をめぐる対話を重ねていきます。
ちゃぶ台でカップ麺を食べながら、麦茶を飲みながら、枝豆をつまみながら。なんでもない会話の中で「こんな詩があるよ」と手渡されるのは、辻征夫、高階杞一、まど・みちお、萩原朔太郎、長田弘、石垣りんらによる20篇の詩。
作者の斉藤倫は自身も詩人であり、詩情あふれる絵本なども手がけているだけあって、取り上げられているのはいきいきと豊かな味わいをもつ詩ばかりですが、なかには理解できないと感じる作品も。
でも、「ぼく」は決して「きみ」も読者も置いていきません。
言葉の意味なんか、わからなくて当然。(でもわかろうとしなくていいわけじゃない。)
詩を読んで感じたことを、説明できなくてもいい。
胸に感じた何かがあって、それを説明できなかったことをちゃんと覚えておけばいい。言葉になる前の、音、を味わうのもいい。
「比喩」というのは何かを“救い出す”ためにあるもの。
(以上、本文より)
一篇一篇の作品と「ぼく」の言葉に導かれ、難しいと感じた詩もどんどん近しい存在になっていきます。
決して一方的にはならず「きみ」と一緒になって考えようとする姿勢、詩や言葉へのおおらかでやさしく、深いまなざしに心を打たれ、詩、言葉というものは思っていたよりもずっと自由で広がりがあるものなのだと嬉しくなってきます。
詩や言葉の中にある、意味や答えをすぐに見つけようとするのではなく、もっと肩の力を抜いて“感じる”ことを楽しめばいいのだと、気づかされました。
「おなかが、くうどうに、なるような、かんかく」「いみが、わからなすぎて、おんがくみたい」と、詩の世界をのびやかに味わう「きみ」の言葉もまた、“感じる”方法を教えてくれるよう。
二人の対話により、それぞれの詩が新しい命を得たように輝き出します。
心に残り続けるだろう一篇との出会いもありました。
人生が1時間だとしたら 高階杞一
人生が1時間だとしたら
春は15分
その間に
ただしい箸の持ち方と
自転車の乗り方を覚え
世界中の町の名前と河の名前を覚え
さらに
たくさんの規律や言葉やお別れの仕方を覚え
それから
覚えたての自転車に乗って
どこか遠くの町で
恋をして
ふられて泣くんだ
人生が1時間だとしたら
残りの45分
きっとその
春の楽しかった思い出だけで生きられる
「きみ」と一緒に、かみしめるように何度も読みました。涙が出てきました。
自分にも確かにあった“春の15分”のことを、そして、小さな息子のことを、思いました。始まったばかりの彼の人生のことを。この詩人はどんな人で、どんな人生の中でこの詩を書いたのでしょう?ほかの作品も読んでみたくなりました。
「ひとは、ことばをつくって、こころを、あらわそうとした。
それでも、あらわせないものが、詩になった。」
詩に添えられたこの言葉も、何度も読みました。ふと、詩に出会い直せた、という気になりました。
詩というものは、言葉にならないものを「ことばにしようとしたあと」なのです。
だからときに、理解するのが難しかったり、わけもなく涙が出ることがあるのでしょうか。ときに手紙のかわりに、大切な人に届けたくなったりもするのでしょうか。
3.“詩と言葉の教科書”のような一冊。人生に寄り添う詩との出会いをぜひ
「―ことばをつかうかぎり、かならず、ことばのないものにつきあたる。
そのときいちばんだいじなことは、ことばのないがわにいる、ふりをしないことだ」
「ぼく」と「きみ」にとって特別な存在である詩人の言葉です。(誰のことかは本書で確かめてみてください。)
「言葉のない側にいるふり」をしてしまったら、詩は生まれません。確かに言葉によって何もかもを正しく表すことは難しく、そのことはときに人を縛るのかもしれません。
でも言葉は、人を自由にするものでもある。そう信じていたいです。この本が教えてくれたように。
よりすぐりの詩集でありあたたかな物語でもあるという、ぜいたくな本書。詩を味わううえで大事なことを一つひとつていねいに教えてくれる、“詩と言葉の教科書”のようでもありました。
びっくりしたり、じーんとしたり、ニマっとしながら、二人と一緒に安心しきって詩との出会いを楽しめ、読み終わるのが惜しかったです。
「くちずさむだけで、だいじょうぶだ、とおもえるような詩が、せかいにはたくさんある」。
「その詩たちが、いつか、きみを、みちびくような、気がする」のだと、物語の終わりに「ぼく」はつぶやきます。
この本をきっかけに、みなさんの人生にも寄り添ってくれるような、そんな大切な詩が見つかりますように。
¥1,320
発行/福音館書店
著者/斉藤倫
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